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  15/08/15   【海の道むなかた館】日本人にかえれ 出光佐三展

海の道むなかた館

日本人にかえれ 出光佐三展
出航の地・宗像から世界へ

 平成27年3 月24 日から5 月10 日まで、海の道むなかた館に於いて、宗像で生まれ育ち世界を 舞台に活躍した故出光佐三氏(以下佐三氏という)の功績をたどる特別展が開催されました。期間中 には大勢の来館者が訪れて、熱心にパネルに書かれた説明文を読む姿が見られ、好評の内に終了しま した。
 今年は生誕130 周年に当たります。この特別展をふりかえり、あらためてその生涯と宗像とのつな がりについて紹介します。

1.「日本人にかえれ」

 これは佐三氏の有名な言葉です。

 現代は、「世界は一つに」とグローバル社会の様相を示す半面、環境破壊や、地域紛争など憂慮す る問題が山積みです。このような現状において、日本人がこれまで大切にしてきた「互譲互助」の精 神が必要で「日本人にかえれ」という氏の言葉は今、とても新鮮です。
 宗像をこよなく愛し、自身の精神のよりどころとして守り続けた宗像の神。故郷宗像を誇りに思い 日本人として何をなすべきかを考え、世界を視野に活躍した生涯でした。百田尚樹氏の著書『海賊と 呼ばれた男』の主人公は佐三氏をモデルにして書かれ、日本本屋大賞に選ばれ話題にもなりました。

 展示場内では佐三氏が昭和56 年に帰省した際、八所宮、緑風園、宗像大社参拝などの貴重な映像 がテレビを使って、放映されました。
 また、平成27 年RKB制作の「出光佐三と宗像大社」は好評で、氏の功績をたどり、アナウンサ ーが赤間小学校や宗像大社などを取材した映像が放映され、椅子に座ってゆっくり視聴する方が多く 見られました。

 

2.故出光佐三氏略歴

 氏は明治18 年(1885)8 月22 日、宗像郡赤間村(現在の宗像市赤間)で藍問屋を営む商家の二 男として生まれました。幼少期は身体も弱く母親を心配させました。
 赤間小学校、東郷高等小学校、福岡商業高校へ進み、神戸高等商学校を卒業。酒井商会へ丁稚とし て入店し商業の基礎を身をもって学びました。他人に悪口を言われながらもこの時の経験が後の起業 に役立つことになります。
 2 年後、赤間に帰省した佐三氏は実家の衰退を目にして独立を決意、資産家・日田重太郎氏の援助 を受けて明治44 年(1911)25 歳の時、北九州市門司で出光商会を開店しました。現在の出光興産の 誕生です。その後2014 年6 月20 日、出光興産は創業100 年を迎えました。

 

出光佐三略歴
明治18年(1885)
  福岡県宗像郡赤間村で誕生
明治42年(1909) 23歳   神戸高商を卒業。神戸で小麦と石油を扱う酒井商店に入店、経営哲学の基礎を学ぶ。
明治44年(1911) 25歳
  日田重太郎の援助を受け、門司市本町(現在の北九州市門司区)で 出光商会を創業 日本石油の特約店として機械油を扱う
昭和 7年(1932) 47歳
  門司商工会議所会頭に
昭和12年(1937) 52歳
  貴族院議員に登院(貴族院が廃止されるまで議席を持つ)
昭和15年(1940) 55歳
  出光興産株式会社設立
昭和17年(1942) 57歳
  宗像神社復興期成会を結成、会長就任
昭和28年(1953) 68歳
  日章丸アバダン入港、イラン石油を初めて輸入
昭和32年(1957) 72歳
  徳山製油所竣工
昭和47年(1972) 87歳
  社長を退き店主に就任
昭和51年(1976) 91歳
  フランス文化勲章 コマンドール賞を受賞
昭和53年(1978) 93歳
  宗像町の名誉町民となる
昭和56年(1981) 95歳   逝去

 

訃報に接し、昭和天皇が詠まれた歌

「出光佐三逝く 三月七日の歌」
国のため ひとよつらぬき尽くしたる きみまた去りぬ さびしと思う

唐津街道赤間宿の中ほどにある佐三の生家 石造の案内板が片隅に置かれている

3.佐三氏と宗像

 元宗像市長であった瀧口凡夫氏は、西日本新聞東京支社勤務時代に、同郷の幼馴染を通じて佐三氏 に直接会って話をしたことを、著書『出光佐三 魂の言葉』(2012.5.11)の中で次のように書いてい ます。昭和30 年代のはじめのことです。

序章 あるべき人間の姿を求めて―出光佐三に日本人の心を学ぶ
ここに日本の風土の原形がある

 私が市長のころ宗像市内を中心に調査したら、この川はもともといり江で、西岸にはいまも残る肥 沃な農地が広がっていた。台地には多くの古墳がある。宗像海人たちはここを根拠地にして沿岸漁業 や大陸との交易、そしてたまには海賊働きなどをしていたものと思われる。
 河口から1 キロほど入った川べりと、その裏手の高台にかけて宗像大社の辺津宮 へつぐう があり、北へ向か う流れの正面に中津宮(大島)、その沖の孤島に沖津宮(沖ノ島)がある。それぞれ天照大神の御子 神(三女神)を祭り、合わせて宗像大社という。
 宗像大社は、氏子である宗像の住民にとって、最も親しみやすく、かけがえのない尊崇の対象であ り、古老たちは島全体がご神体である「沖ノ島」を口にするときには、いまでも必ず「さま」と敬称 をつける。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 佐三さんの生家は商家で、いまも旧唐津街道赤間宿の町並みの中にある。先祖はもともと宇佐の出 身で、宇佐神宮の神職だったという。宇佐神宮には宗像三女神が祭ってあり、宗像大社とは縁が深い。「お宮の関係で先祖は宗像に移り住んだ」と私は佐三さんから聞いたことがある。
 出光家は赤間宿の老舗で、四国の徳島から藍玉を仕入れ、福岡、久留米などまで販売を広げていた。 しかし生活は質素で、宗像の風土、そこに住む農、漁民たちと相通じるところが多く、大社への尊崇 の念と日常の生活のありようなど、まったく違和感はなかった。

4.佐三氏の地域貢献

宗像大社の復興運動
 佐三氏が51 歳、貴族院議員に選ばれた昭和12 年(1937)、参拝のために宗像大社を訪れた際、驚 きの光景を目のあたりにします。拝殿をみると、屋根は破れところどころにトタンが差してあります。 また雨が漏り腐れかかった場所もあります。佐三氏が「どうしてあれを修理しませんか」と聞くと、 宮司は「いや、この建物は国宝だから勝手に修理するわけにはいきません。予算もまだ通過していま せんから」と答え、神社の由緒について説明しました。
 幼いころ聞いたことのある話でしたが、宮司の話を改めて聞き、宗像三女神が国民の祖神であると 気づいた佐三氏は「これは大変だ。早く元のお姿に戻さなければ」と考えるようになりました。
 その後、昭和17 年(1942)宗像神社再建のため、佐三氏が中心となり宗像神社復興期成会を結成、 政府へ修理のための予算獲得、勅祭社への昇格の建議などに取り掛かりました。

 宗像神社は昭和44 年((1969)に、宗像氏貞が再建して以来およそ400 年ぶりとなる、昭和の大 造営が行われ、昭和46 年1 月遷宮大祭が行われています。
 その後、昭和52 年(1977)宗教法人・宗像大社となり、平成26 年(2014)、平成の遷宮が行われ、 木々の緑に映える朱色が美しい、真新しい社殿になりました。
 出光興産の本社はもちろん各施設には、宗像大社が建立され、工事の竣工の際には宗像大社から神 職を招き神事を行っています。


・『宗像神社史』の刊行
 昭和36 年(1961)上巻、昭和41 年(1966)下巻、 昭和46 年(1971)附巻を刊行

・沖ノ島の学術調査
 『宗像神社史』をまとめるにあたって、沖ノ島の調査が必要となり、昭和29 年から三次に わたり専門家による調査を実施

・『沖ノ島』の刊行 昭和33年(1958) 
 『続沖ノ島』昭和36年(1961)
 『宗像沖ノ島』昭和62年(1977)

 

5.館内の展示品

・タンカーの名称にある宗像の地名
 造船されたタンカーには「沖ノ嶋丸」「大島丸」「赤間丸」「玄海丸」など宗像の地名を船名 にしています

展示ケースの中の「沖ノ嶋丸」150分の1の模型 ブリッジに常時置かれたという船鐘
   
直筆の書が展示された 「日本人」 「人間尊重」 「敬神愛人」
 
宗像町名誉町民章
(昭和53年に当時の宗像町が佐三に送ったもの、未だ佐三1人)

6.シアタールームでは、

  • 出光興産が創業100 年を記念して作成した「店主物語」。ナレーションは佐三氏の母・千代役と して竹下景子さんが担当しています。
  • 出光興産が作成し保管するニュース映像から宗像に関連するものを集めた「出光ニュース」
  • 「出光興産社員教育用映像」(抜粋)、当時の大社宮司・葦津嘉之氏が佐三について語った映像も。
    以上の貴重な3種類の映像が上映され、椅子も足りなくなるほどの盛況でした。

以上の貴重な3種類の映像が上映され、椅子も足りなくなるほどの盛況でした。

7.入場者の感想
A氏 唐津から来たという高齢の方
今、小さな店で出光の石油を売っている。父は門司の出光商会からの社員。戦時中はジャワ へ行き終戦後に帰ってきた。私達は先に上海から船に乗り引き揚げてきたが、その後出た船 は沈没したと聞く。家には佐三氏直筆の書がある。
B氏 『海賊と呼ばれた男』を読んで、本物に触れてみたかった。
C氏 店主は雲の上の人でした。(沖ノ嶋丸の模型を見ながら)佐世保重工まで見学に行った。昔 は4,50 人の乗組員が動かし、今はコンピュターだから7,8 人で操船する。階段まで実物 そっくりにできている。
D氏 修学旅行で東京へ行った時、出光さんからとお菓子が配られた。
E氏 徳山工業高校の機械科の学生時代に。教室の窓から徳山湾に巨大な出光のタンカーが入って くるのが見えた。
Fさん 出光佐三さんと宗像市の世界遺産登録推進活動が結び付くとは。今初めて知りました。

8.結びのことば(パネル展示より)

 佐三は「日本に生まれて最高に恵まれて育った」というのが口癖だったと言います。彼の思想の原 点は、ここ宗像にあるといっても過言ではありません。
 宗像の歴史や風土、人々の気質、自然豊かな景色など、私達が日常目にし、耳にしていることは、 まるで空気のように日ごろ意識することなく、当たり前となっています。
 佐三の思想や行動力をふりかえることで、あらためて宗像の素晴らしさに気づくことができたので はないでしょうか。
 出光佐三の意思を引き継ぎ、先人が残してくれた資産を大切にしながら、宗像人として、日本人と して世界に貢献する。この企画展がそのきっかけとなれば幸いです。

 宗像市では平成27 年度より、教育子ども部 子ども育成課にグローバル人材育成係が新設され、次 世代を担う子ども達が、佐三氏のように世界を視野に活躍していくことを願っています。

 開催期間中の入館者数は、およそ27000 人。シアターの視聴者数はのべ4400 人でした。
 尚、本文は展示されたパネルの説明文および、むなかたタウンプレス(4月15日)より、参考、引 用しています。

むなかた電子博物館運営委員 平松秋子




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