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  13/12/27   八所宮の「平和の洪鐘」を返還

八所宮の「平和の洪鐘かね」を返還

 平成25年11月6日、宗像市吉留の八所宮で29年間に渡り里帰りしていた梵鐘ぼんしょう・「平和の洪鐘かね 」を、世界遺産である広島県の厳島神社へ返還する式典が行われました。
 「平和の洪鐘」と呼ばれる由縁は、赤馬11カ村の氏子が平安への祈りを込めて、今から六百年ほど前に八所宮へ奉納したことによるものです。
 現在は、広島県の厳島神社の所有であり、広島県の指定文化財となっています。なぜ、六百年前に八所宮へ奉納されたものが、厳島神社の所有になったかは後述します。
 さて、朝8時から始まった式典には、名残を惜しむ50人程の人々が拝殿に参列しました。宮司の祝詞のりとに始まり、参列者による玉串奉奠たまぐしほうてんの後、無事に厳島神社へ返還できるよう道中の安全を祈願して「平和の洪鐘」のお祓いがありました。

写真:式典が行われている拝殿
式典が行われている拝殿

写真:拝殿に置かれた「平和の洪鐘」と参列者
拝殿に置かれた「平和の洪鐘」と参列者

写真:「平和の洪鐘」の無事を願ってお祓い
「平和の洪鐘」の無事を願ってお祓い
写真:静かに別れの時を待つ鐘
静かに別れの時を待つ鐘

写真:拝殿から移送車へ移動
拝殿から移送車へ移動

 この「平和の鐘」は、遠賀郡芦屋町の芦屋釜で作られた貴重なものです。平成3年8月1日から9月15日まで、芦屋町 町制100周年記念の際に行われた、「芦屋釜展」にも出品されました。その図録には口径58.2p 総高105.5pと記載されています。

鐘には刻印された文字が鮮明に残っています。

写真:鐘には刻印された文字
「赤馬庄鎮主」
「八所大明神」
写真:鐘には刻印された文字
「日本国西海道」
「筑前州宗像郡」
写真:鐘には刻印された文字
「社頭洪鐘也」
「應永五年(戌寅)二月十六日」
写真:鐘には刻印された文字
「大工 了案」

先端が「 宝珠ほうじゅ 」その下が「 竜頭りゅうず 」とよばれる部分です。

写真:宝珠と竜頭

その後、「平和の洪鐘」は自動車に乗せられ、無事に広島県廿日市市の厳島神社へ届けられました。

写真:厳島神社で神職にお礼をのべる奉斎会役員の方々
厳島神社で神職にお礼をのべる奉斎会役員の方々

 この「平和の洪鐘」については、その長い歴史とともに多くの言われがあります。

 「平和の洪鐘」について、平成4年11月に八所宮奉斎会により編集された『神鐘 平和の洪鐘』にその経緯がくわしく記載されています。また、文中には、厳島神社にあった八所宮の鐘を、数度の返還交渉の末、昭和59年に里帰りに至った奉斎会顧問の瀧口雪雄氏の3年間に渡る記録があります。
 以下はその記録からまとめたものです。

1.八所宮第一の神鐘(今回返還することになった鐘)

 この洪鐘は今を去る600年前、吾々われわれ氏子の祖先が、天下動乱の不安みなぎる世情をおそ悲しみ神祭かみまつりをねんごろにし、平和をい願って苦心惨胆くしんさんたんの末、神に奉納したものだと伝えられています。ところが、400年前天正の年間(1573〜1591)、豊臣秀吉が九州に来征らいせいした折、戦利品として持ち帰り、厳島神社の千畳閣落成を祝って同神社に寄進しました。
(今回、400年ぶりに里帰りした平和の洪鐘)
 幸い、私たちは祖先が念願し続けたこの洪鐘の里帰りを実現し得てしじじみと深く感謝の意を表している次第出有ります。


 八所宮奉斎会編『神鐘 平和の洪鐘』平成4年11月

 この鐘が里帰りをした当時の様子が、新聞記事になっています。

昭和59年10月 7日 西日本新聞 『おかえりなさい平和の鐘』
昭和59年10月14日 読売新聞 『戦争が変えた2つの鐘の運命 秀吉に奪われる/戦争供出』

ところが、この鐘にまつわる数奇な運命は第二、第三の鐘として、その後も続いていきます。


2.八所宮第二の神鐘(戦争時に供出されて今は無し)

 秀吉が持ち去って後71年、正保年間(1645〜1648)、時の黒田藩主が八所宮の洪鐘が姿を消していることを知り、新たに梵鐘を鋳造させ寄進していました。明治元年、神仏分離令が公布されるまで、八所宮に保存されていましたが、同3年遂に、福岡県鞍手郡元笠松村、亡古野ノエ氏の懇請こんせいにより払い下げたのであります。亡古野氏はその後同村、浄土真宗真学寺に寄進し昭和17年(1942)まで同寺の梵鐘として親しまれていましたが、悲運にも同年供出命令を受け、嘆願の甲斐かいもなく、今コンクリートの実物大の模型のみが在りし日の昔を偲ぶかの様にポツンと鐘楼の内に眠っています。

 この鐘については残念ながら終戦直前の供出ということでもあり、写真など資料は残っていません。八所宮では手掛かりを探しています。


3.真学寺にある第三の神鐘(第二の神鐘が供出により無くなった事を惜しんで、復元された鐘)

写真:真学寺境内に置かれた「平和の洪鐘」のコンクリート製の模型
真学寺境内に置かれた「平和の洪鐘」のコンクリート製の模型

 黒田藩により寄進された第二の神鐘は、太平洋戦争中に供出命令を受けて無くなりました。それを惜しんで、実物大のコンクリートの模型が残されているということで、平成25年11月6日、奉斎会の方々と宮田町にある真学寺を訪ねました。
 今、真学寺の鐘楼には、八所宮の第二の神鐘に変わり、昭和25年に京都で造られた新しい梵鐘がつりさげられています。
 お寺の方に、コンクリート製の梵鐘の置かれている場所まで案内していただきました。竜頭は鉄で造られているために錆びていましたが、数奇な運命に翻弄された鐘の姿を見て、奉斎会の方は「よくぞ残ってくれました」と声をかけながら、手を合わせて拝みました。

写真:コンクリート製の模型に残された文字
大東亜戦争供出期記記念 (一憶)
写真:コンクリート製の模型に残された文字
昭和十九年十月吉祥日
宮田町
奉納者 岩見蘭始 斎藤忠兵衛
写真:コンクリート製の模型に残された文字
製作者 直方市 村尾勘市
写真:コンクリート製の模型に残された文字
皇紀二千六百二年 (一心)
(西暦1942年・昭和17年)

 黒田藩から寄進された八所宮の第二の鐘は、70年前まで、宮田町の真学寺にありました。今は亡くなった前住職は、新しく京都で製作された梵鐘の音を聞きながら、「八所宮の鐘の音は良かった」と、言っておられたそうです。
 昭和17年、供出命令により保存がかなわなかった梵鐘を惜しんで、動乱のさなか、模型を造って奉納した人々の一憶・一心の熱い思いが、そばに立っている私たちにも伝わってくる鐘の姿でした。

 今年も除夜の鐘が聞こえてきます。一年の終わりに、八所宮の梵鐘にまつわる話を探ってみました。

むなかた電子博物館企画運営委員
平松秋子




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