City MUNAKATA Digital Archives
          
    サイトマップ  お問い合わせ
 
トップページ 文化
     
  10/01/20   縄文時代の海岸線を探る! −さつき松原遺跡の調査からA−

縄文時代の海岸線を探る! −さつき松原遺跡の調査からA− 

 宗像市の文化財担当職員(市民活動推進課)による、遺跡発掘調査レポートをご紹介します。

 

◎ムナカタ海人族の海底遺跡?

 昔々、釣川流域の内陸奥深くまで入海だったという話は、宗像に住む人ならばよく耳にするのではないでしょうか。

 さつき松原遺跡のいとなまれた縄文時代前期は、世界的に海水面が現在より数メートルほど高かった縄文海進期にあたり、まさに釣川沿いは海でした。

satuki2

 単純に考えると、波打ち際に位置する遺跡は海面下に沈んでしまい、海人族といえども、とても定住できる環境ではないでしょう。昔はこのような地形ではなかったはずです。

 もうひとつの謎は、砂丘と砂丘の下にうずもれていた遺跡の間に、人頭大から玉砂利大の厚さ30〜50センチほどの安山岩の礫層がサンドイッチ状に広がっていたことです。今では、砂丘の侵食に伴って礫層が流れ出し、海岸を埋め尽くしています。この石はどこからやってきたのでしょうか。

 

◎ひとつの回答

 考古学の知識だけではどうにも手に負えないので、多くの方々にご意見をうかがい、あれこれ考えてまとめてみると、以下のようなことが考えられそうです。

 平成9年に刊行された『宗像市史通史第1巻自然考古編』に添付された「縄文時代(約4700年前)の宗像の地形図」によると、さつき松原遺跡から数十メートル沖合まで陸地となっています。

 このことは、海岸部に厚く残る古砂丘(こさきゅう・大昔に形成された砂丘で、さつき松原遺跡もその上に営まれている)の断面観察から、現在では陸地がかなり削られ、波打ち際がせまって来たと推定できるのです。

 

 

遺物包含層の堆積状況
遺物包含層の堆積状況

 

 余談ですが、砂丘にならずに礫のままが見られるのが相島(あいのしま・新宮町)の北東部ナガイ浜で、古墳時代には積石塚(つみいしづか)という古墳がその礫を利用してつくられています。

 結論ではありませんが、今のところ以上のようにまとめています。

 今後は考古学のみならず地質学など関連分野との研究協力を進めていきたいですね。(白)

調査の様子(干潮時)
調査の様子(干潮時)

 

 また、安山岩の礫は、もとは海底に分布しているもので、大きな波の力によって旧海岸線の満潮線のやや上まで打ち上げられ、浜堤(ひんてい・海岸に形成された堤防上の高まり)をつくっていました。いわば、自然の力により礫の防波堤が出来上がったのです。

 したがって遺跡は浜堤に守られた、波風を直接受けない場所であり、標高も今より若干高かったのでしょう。やがてさつき松原付近は特に侵食が進み、陸地は削られ、浜堤をつくっていた礫は遺跡の上に堆積し、その礫を土台として砂丘が発達することになるのです。

 

調査区全景
調査区全景

 

 

謝辞:むなかた電子博物館企画運営委員の皆様、九州大学院理学研究院の下山正一先生には大変有益なご教示を受けました。お礼申し上げます。

 




Copyright(c)Munakata Digital Musium All rights reserved.無断転載禁止
むなかた電子博物館は宗像市が運営・企画しています。


サイト内検索

history 歴史
culture 文化
nature 自然

仙人の七つ道具
  仙人のふしぎ地図

ご意見ボックス

宗像市の野鳥たちむなかたヒストリー探検隊探検!発見!むなかた宗像のわらべ歌むなかたギャラリー 今&昔
このサイトはFlashプラグインが必要です。こちらからダウンロードしてご覧ください。