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  09/01/22   「宗像郷土館」を知っていますか?3田熊石畑遺跡★特別レポート★

「宗像郷土館」を知っていますか?B

 〜田熊石畑遺跡★特別レポート★〜

 むなかた電子博物館企画運営委員会の平松委員が、その「宗像郷土館」の開館から、当時発見されて今につながる田熊石畑遺跡までのあゆみについて、レポートを寄せてくださいました。

 今回は、3.郷土館の崩壊〜4.その後の郷土館 をご紹介します。

 

3.郷土館の崩壊

 「日本人は死んだ 廃墟の宗像郷土館」(『ふるさとの自然と歴史』第95号1979年発行)の中で、田中先生は、郷土館の崩壊について語っている。

 開館翌年、昭和15年6月田中先生の浮羽高等女学校転任、16年の太平洋戦争の始まり、20年の終戦、戦後社会の混乱や学制改革(昭和22年〜25年)による宗像高等女学校の消滅などの事情が重なり、郷土館は管理者のいないまま放置された。

 ガラス張りの天井部はむざんに破れ骨董的価値のある物は盗まれ荒廃をきわめたという。

 この廃屋を鹿児島線の上り列車の車窓からごらんになった田中先生は、開館祝賀式での意気高揚とした人々と日の丸の旗の波との風景を、廃墟の郷土館に重ねた。

 当時のベストセラーになった「日本人は死んだ」という書を著したユダヤ人宣教師マービン氏は、その中で、経済成長の影にあえなく薄れていった日本人の精神の空虚さ脆弱さを衝いているが、田中先生は、この書の内容と重ね合わせ、先人達の郷土を愛する心から始まった宗像郷土館のなれの果ての姿に悲嘆された。

在りし日の田中幸夫先生

在りし日の田中幸夫先生
(田中幸夫と宗像郷土館 宗像考古刊行会 花田勝広1995 より引用)

 

4.その後の郷土館

 宗像郷土館の建物は崩壊の一途をたどったが、残された資料の重要な価値に気づいた人々によって整理が行われた。

 1期は、1965年〜1978年で、宗像高校に赴任された正木正三郎先生が退職されるまでの10年間である。正木先生は荒れ果てた郷土館を見てまわり小田富士雄先生に相談。すべての資料を空き教室へ移管し、郷土部の生徒で洗浄、分類を行った。先生の回想によると、資料委託者が返還要求し、引き取られる事態もあったという。そして空き教室の窓ガラス、陳列ケースが破られる事件が続発し1972年、正木先生の許可を得て花田氏が見学した時には破れたガラス窓に悲惨な感じをうけたが、資料は丁寧に保管されていたという。

 管理に行き詰まった正木先生は九州大学の岡崎敬教授に会い資料の重要性を説かれ叱咤激励されたということである。その後宗像高校郷土部も休部になり、清掃する人もなく寂寥感がただようほどであった。

 正木先生は1975年の退職の再に重要な物品について九州歴史資料館へ保管を依頼した。このことを新聞報道で知った人々が宗像町議会へ働きかけて資料の所有権が宗像高校に移ったことには、自分たちの郷土を誇りに思い文化を守り伝えようとする人々の心意気を感じる。

 郷土資料の散逸を免れたことは学校当局、諸先生、郷土部生徒の無償の奉仕であった

 

 2期は1981年〜1984年 宗像高校教諭占部玄海・中尾徹先生によるものである。

 資料の置かれていた教室を再度整理して『むなかた*』の目録と資料を確認して1点ずつ写真に納めた。これは1984年発行の「宗像高校視聴覚ホール・郷土資料図版・目録」で収蔵資料のすべてが明らかになった。考古資料を中尾・古文書等を占部先生が担当し費用は占部先生の自費出版であった。郷土歴史研究会の協力もあったという。

 1988年 宗像高校70周年事業として同窓会館・四塚会館が完成。今日まで3階展示室に郷土館の資料が収蔵、展示されている。

 

 3期は1992年〜1994年に花田勝広・鎌田隆徳氏による整理である。

 東郷・田熊・釣川遺跡の遺物実測・出土品の照合・出土地点の聞き取り調査を開始。

 『視聴覚ホール目録』・ 『むなかた*』目録・ 田中幸夫論文『弥生式土器集成』を手がかりに出土地点の確認できる物から実測を開始。そして、寄贈者の子孫の追跡、聞き取り等によって資料の確実性を高めていく方法がとられた。

 

 4期は1994年以降で全国の博物館等で宗像関係の考古資料の収蔵の有無を確認している。1995年には、東郷高塚・上八中羅尾・田熊中尾遺跡の銅剣・銅戈などの実測図(東京都)、現物資料(大阪府)を発見した。2006年には、郷土館収蔵の畦町遺跡(福津市)の瓦類出土地を再発見した。このように、追跡調査は、時間が掛かるが着実に進んでいる。

 

 整理の結果、重要遺物盗難品は、銅戈・銅剣2・子持勾玉・勾玉2・雙雀鏡・銅匙・経筒・金環2・鉄釜12点が確認でき、銅戈・銅剣については実測図を発見した。他の資料については、ほとんどが四塚会館に保管され、実態としての「宗像郷土館」は存在する。

 

 2008年9月、私は宗像高校四塚会館の3階にある展示室を訪れた。まだ夏の強い日差しが残り遺物に当たると良くないと思いカーテンを閉めたまま見学させて頂いた。陳列ケースの中で静かに並んだ土器や勾玉の「会えてよかった」という声が聞こえたような気がした。

 

むなかた*は、パソコンで表記できないため、ひらがなで記載しております。




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