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  08/11/07   弥生時代の船着場発見か!?田熊石畑遺跡発掘現場から緊急レポートA

弥生時代の船着場発見か!?

                  田熊石畑遺跡発掘現場から緊急レポートA

 宗像市の文化財担当職員(市民活動推進課)による、遺跡発掘調査レポートをご紹介します。

 

 前回は弥生時代中期前半(紀元前2世紀)頃の6基の墓から、武器形の青銅器が15本出土したことをレポートしました。

 その後も調査を進めていくと、墓に埋葬された有力者集団が治めたと考えられる集落跡が北側に広がっていることを確認しました。

 しかも、人々の住まいである竪穴住居は少なく、そのかわり貯蔵穴(ちょぞうけつ)と呼ばれる地下式の穴倉が100基以上も見つかっています。

 

1B区環濠南側
(南側陸橋部)
黒い部分(谷部)
が入江状に入り込んでいます。
南の方向に許斐山が見えます。

2B区環濠北口
(北側陸橋部)
環濠の中にどのような遺構があるのか、
現在調査中です。

 

 

    さらに調査が進むと台地の北東部隅から直径50mほどの円形に復元できる弥生時代前期の環濠(かんごう・ムラを囲む堀)が姿を現しました。この予期せぬ展開に私たちは驚き、そして不思議に思いました。なぜなら環濠の南側の出入り口である南陸橋(みなみりっきょう)はすぐ谷に面しており、出入りしにくい位置にあるのです。

 

 

 

 

 よく考えてみると、この谷は釣川の支流である松本川から入江のように入り込んでおり、弥生時代の船着場?という仮説が浮かびました。

 環濠にとり囲まれた台地は荷揚げした物資をたくわえておく場所かもしれません。

 

 河川を利用した水運(舟で川を行き来し物資を運ぶこと)は、今日のように堤防や堰(せき)が築かれる前まで、交通や物資の運搬に役立っていました。

 江戸時代前期まで神湊方面から東郷橋付近まで川平(かわひら・川舟)が行き来していたようで、これが弥生時代前期にまでさかのぼるとしたら大発見!?

 

 結論は出ていませんが、調査の進展を見守っていてください。(白)

 

3貯蔵穴の調査
貯蔵穴はもっと深いのですが、
1mほど上部を削られています。

貯蔵穴
(貯蔵穴の断面図です。)
ムラで収穫した食料などを
貯蔵するための穴です。

 つづく・・・(今後、速報を随時おとどけします。)

田熊石畑遺跡発掘現場から緊急レポート@はこちら




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