City MUNAKATA Digital Archives
          
    サイトマップ  お問い合わせ
 
トップページ 新着情報
     
  07/11/22   海辺の考古学展レポート

海辺の考古学展  ムナカタ海人族の足跡をたどる 

 宗像市民俗資料館では、秋の企画展として「海辺の考古学展」が開催されました。
 企画展の中で行われた講座の様子について、むなかた電子博物館企画運営委員の平松委員がレポートをお寄せくださいました。ご紹介します。
※宗像市民俗資料館(鐘崎)は閉館いたしました。宗像の民俗資料などは海の道むなかた館(深田)に展示されています。

 
 11月10日土曜日、青い海の上に秋空が広がるさわやかな空気の中、玄海灘(げんかいなだ)に面した鐘崎にある資料館は、入館すると同時に海女(あま)の漁労(ぎょろう)の雰囲気が漂ってきます。

 10時から、宗像市市民活動推進課による宗像見聞学講座(歴史講座)が開かれ、これまでの研究成果の発表と、展示品の解説が行われました。

 2階学習室の四方(しほう)を展示品で囲んだ中で行われた講座は、実物を見ながら解説を聞くことができ、満員の会場からはムナカタ海人の活躍について熱のこもった質問も飛び交い、講師のユーモアを交えた説明に時々笑い声も起こる、なごやかな雰囲気のものでした。

 資料とともに手渡された「古代塩」は、万葉集(まんようしゅう)にも詠(うた)われた「藻塩(もしお)焼き」の作り方によって作られた塩で、海藻(かいそう)を天日(てんぴ)干しにして濃い海水を作り、それを煮詰めたもので、薄茶色(うすちゃいろ)をしています。
 なめてみると塩辛い味ではなく、海藻に含まれる多くのミネラルが溶け合ったおいしい味でした。
 


1.海人のルーツ(漁労のはじまり)

 九州では、今から8千年から6千年ほど前ごろから、漁労(ぎょろう、魚や貝などの海産物をとること)が行われるようになった。

 宗像では、沖ノ島祭祀遺跡(おきのしまさいしいせき)に縄文(じょうもん)時代前期の土器が出土しており、早くから人類が行き来していたことがわかる。しかし、ムナカタ海人族との関係は不明である。

 現在のところ、さつき松原の砂丘(さきゅう)上にある鐘崎貝塚(縄文時代後期)が、漁労を行っていた宗像最古の海人集落といえる。

鐘崎貝塚のパネル
(パネルの写真は鐘崎貝塚)


2.海人族のあかしと地名「ムナカタ」

 「ムナカタ」の地名の由来 のひとつに、「入れ墨(ずみ)説」がある。

 卑弥呼(ひみこ)の時代の日本について書かれた中国の書物『
魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』や、台湾の民族事例などから、ムナカタ海人族は、胸(むね)や肩(かた)に、独特のウロコ文(三角文)をほどこしていたのではないかという考えだ。

 桜京古墳(国指定遺跡)の装飾(そうしょく)を見てみると、まさに三角文(ウロコ文)だけで装飾されている。ムナカタ海人族の入れ墨がモチーフなのかもしれない。

桜京古墳の模型
(手に持っているのは桜京古墳模型)


3.海人族の眠り

 海人族の眠る古墳群(こふんぐん)から発掘(はっくつ)された遺物(いぶつ)として、渡来品(とらいひん)や漁労具(ぎょろうぐ)などが展示されていた。

 右上の写真は、牟田尻古墳群(むたじりこふんぐん)から発掘された「金銅製飾履(こんどうせいしょくり)」の復元品。
 「金銅製飾履」とは、死者を弔(とむら)うために作られた飾(かざ)りの付いた、金銅製の靴(くつ)のことである。

 
講師が手に持っているのは「アワビおこし」。
 海女(あま)が岩にへばり付いたアワビをはがしとるための道具で、弥生時代から使われていた。

金銅製飾履
アワビおこし


4.海人族の暮らし

 5世紀末から7世紀末にかけ、神湊(こうのみなと)の浜宮貝塚(はまみやかいづか)には、海産物加工を専業(せんぎょう)にしていた集落があった。

 
神湊からは塩作りの土器が出土している。古墳時代から奈良・平安時代(1700年前から1200年前)のものだと考えられている。 

玄界灘式製塩土器
(玄界灘式製塩土器)


5.古墳時代の宗像沿岸

 2005年、「大王のひつぎ実験航海」が行われた。
 熊本県宇土市から大阪南港まで、29日間1000キロの海路を、復元された古代船「海王(かいおう)」が行き、その途中で宗像市大島に寄港(きこう)した。

 
 「海王」は、丸木船に波よけの板を取り付けた準構造船(じゅんこうぞうせん)で、古墳から出土した埴輪(はにわ)をもとに復元された。
 
 阿蘇のピンク石で作られた石棺(せきかん)を、ヤマトの豪族(ごうぞく)の墓に運んだという。

 実験の結果、古代船は平均で1日に約34kmの航程(こうてい)を進むことができるとわかった。
 この結果を沖ノ島に置き換えてみると、沖ノ島までは神湊から約57km、大島から約49kmある。
 当時、夜間の航海は困難だったとも考えられており、1日の間に沖ノ島に渡るのはとても大変なことだっただろう。

 企画展では、この古代船「海王」をモデルにした10分の1模型も展示されていた。

大王のひつぎ航海実験の様子
(「大王のひつぎ実験航海」の様子)

 宗像市民俗資料館「海辺の考古学展 ムナカタ海人族の足跡をたどる」は、平成19年12月2日(日曜日)で終了しました。

 




Copyright(c)Munakata Digital Musium All rights reserved.無断転載禁止
むなかた電子博物館は宗像市が運営・企画しています。


サイト内検索

history 歴史
culture 文化
nature 自然

仙人の七つ道具
  仙人のふしぎ地図

ご意見ボックス

宗像市の野鳥たちむなかたヒストリー探検隊探検!発見!むなかた宗像のわらべ歌むなかたギャラリー 今&昔
このサイトはFlashプラグインが必要です。こちらからダウンロードしてご覧ください。