日本中が大飢饉におそわれた天明3(1783)年、津屋崎町在自でも大変な凶作に見舞われ、農民たちは年貢米を納めることができずに困っていました。 お夏は年貢の量を決める箕(みの)さばきで、身の入ったモミをわざと殻のように振り落とし、実入りが少ないように見せかけました。検査の役人達は、モミが思ったより少ないので、年貢米を減らさねばと思い始めました。 ところが、検査の後片付けが始まり、役人達も引き上げようとした時です。役人の一人が「いま一度、その穂を見せろ」と言って、むしろをひろげさせました。お夏の顔は青ざめ、手足がぶるぶる震えています。 「ややッ・・この白穂の中には、実のある物が、相当混じっている。このふとどき者!」役人は、その場で打ち首を命じました。まだ17歳の娘お夏は、こうして無残な最後を遂げました。 農民達は、殺されたお夏の勇気に動かされ、改めて農民達の苦しい生活を訴え、お夏のことも涙ながらに申し上げました。これを聞いた藩主は心を動かし、荒地郷(在自)は近年まれにみる凶作につき、上納高586石の全部を免じました。 現在、偲ヶ丘(しのぶがおか)にお夏のお堂が建立されています。寛政4(1792)年にお夏の勇気に感謝するために建てられたお堂が風雨にさらされたまま荒野に建っていたものを、昭和33年に再建したもので、お夏の物語は今も人々の心に深く刻みこまれ語り伝えられています。