忍照さんは江戸時代の中頃、勝浦の庄屋の家に生まれました。たいへん慈悲深く、享保年間の大飢饉のときには所有の米、麦などを投げ出して農民の救済にあたり、それでもまだ不足すると家財を船に積み込んで下関で売り払うことまでしたそうです。また、この頃は捨て子が多く、心をいためた忍照さんは田畑を購入し、その余米で子供を育てきらない者の養育費にあてたことなど数多くの善行が伝わっています。人々から生き神様として崇敬された忍照さんの墓は、想智院北方の墓地に建てられています。