早川勇は天保3(1832)年7月23日、遠賀郡に生まれ、吉留の医師早川元瑞(げんずい)の養子となります。嘉永2(1850)年、藩医の板垣養永に従って江戸におもむき、儒学(じゅがく)を学びました。
嘉永6年(1854)年のペリー来航がきっかけで世の中が騒然とする中、福岡に帰った勇は勤王討幕(きんのうとうばく)の志士として活躍します。西郷隆盛、中岡慎太郎、高杉晋作らと接触し、三条実美(さんじょうさねとみ)はじめ五卿(ごきょう)の西遷(せいかん)(参照)を実現させ、薩長同盟の基礎づくりに奔走しました。
ところが福岡藩の佐幕(さばく)派は、勤王党の全滅を計画し、勇も幽閉(ゆうへい)されてしまいます。その間、討幕の世論はいよいよ高まってゆき、慶応3(1867)年10月、薩長に対して討幕の命が下り、12月にはついに王政復古の大号令が発せられました。
この政変で勇も解放されて吉留の自宅に帰り、これを聞いた赤間、吉武方面の村民は、郷土の栄えある偉勲者を迎えるために沿道を埋めたそうです。時に明治元年(1868)1月1日、勇は38歳でした。
その後、奈良府判事や元老院大書記官を勤め、晩年は郷土の育英事業に専念し、明治32年2月、68才で亡くなりました。 |