戦国時代の終り頃、宗像大宮司家御家人の婦人が山田から鞍手に逃れる途中、この大石の上に幼児を下ろし、一息ついたところを追ってに捕まり殺害されました。そのとき大石についた幼児の足跡から赤児石と名付けられたといわれています。 この話は宗像大宮司家のお家騒動(参照)に由来するのでしょう。 長さ2.5m、幅1.5m、高さ0.9mの大きな石で、幼児の足跡に似た小さなくぼみがあります。